- 校長の声
No.54 甲子園の余波、ここにまで。
■□■ No.54 甲子園の余波、ここにまで。■□■
5月11日午後、はじめての人から電話がありました。40年以上昔、私が最初に教諭として勤めた高校の卒業生A君からでした。彼曰く「今日の毎日新聞に高校の同級生のB(旧姓)さんが先生のことを書いた文章が載っていますよ」と。
Bさんの友人であるCさんが本校野球部の甲子園出場をBさんに話し、Bさんが文章を書いて新聞に投稿し、それが掲載されたことをCさんがA君に話し、A君が親切心から私に知らせてくれた、のでした。
写真がBさんの文章「あにはからん」です。
A君がCさんから聞いたと教えてくれたBさんの連絡先への電話で私が「Bさんですか」と言ったとたんに彼女は「先生ですか」と返してきました。私の東北訛りはよほど「独特の口調」なのでしょう。
私がお礼を言うと、彼女は「先生に謝らなければ」と言って「私は自分の記憶のまま『あにはからん』と書いたのですが、新聞社から『あにはからんや』ではないかと念を押されました。しかし、私の記憶では確かに『あにはからん』だったので、それで通してもらいました」と話してくれました。
漢文の授業でなら「あにはからんや」という典型的な反語形だったかもしれませんが、私が彼女たちに授業をしていた現代国語では「あにはからん」という漢文調がやや気取った挿入句として使われていたのでしょう。誰の文章中の言葉だったのか、彼女ほどの記憶力のない私は即座には思い出せませんでした。
ただ、彼女の確かな記憶力が再現してくれたこの解答には、かすかな覚えが残っていました。「韻を踏んだきれいな文になっています。エスプリの利いたメイ解答です。点数は、ゼロです」くらいのコメントを付けたはずです。メイ解答者が誰であったかは、気になりながら、思い出せません。
本校野球部の甲子園出場が生んだ思いがけない余波の一つです。
野球部の生徒たちの目覚ましい躍動の波紋は、40年以上前の師弟のつながりの輪にまで広がっていたのです。私一個の未熟な振る舞いをはるかに超えた「教育というもの」の測りがたい働きに、今になって、身の縮む思いがしています。
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