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2018/05/10
  • 校長の声

No.5 踊り場のピアノ

4月中に聞いた、忘れがたい生徒の声を書きとめておきます。

某日、3階講義室での会議を終えて廊下に出たとたん、どこからかピアノの音が‥‥。音楽教室の方向ではないのにと音に惹かれて廊下を直進すると、間違いなく音は頭上から降ってくる。おそるおそる階段を上って踊り場に立つと、4階教室に通じるもう一つの階段の上に黒い影が。

男子生徒がそこに置いてあるピアノを弾いていた!

事務室からキーを借りてきて一人ピアノに向かっていた彼は音楽教師が夢なのだと言う。「なかなか厳しい道だろうけど、時間はあるのだから」と励ましにもならない声をかけた私に、彼曰く「校長先生も頑張ってください」と。瞬間、私はこの子のような子がいるこの学校のために頑張ろうと、素直に思いました。この時の彼の「今」は、このままで、青春が目指す一つの状態なのだと、高齢の私の胸を打ちました。私はこれから何度もこの時の彼の姿と彼の言葉を思い出すことでしょう。

宮下奈都さんの『羊と鋼の森』は高校の体育館のピアノを調律した人に惹かれて調律師の道を志した青年の話です。その青年のある時の思いの部分を引用します。

 

――でも、少しずつ見えてきた。音楽は競うものじゃない。だとしたら、調律師はもっとだ。調律師の仕事は競うものから遠く離れた場所にあるはずだ。目指すところがあるとしたら、ひとつの場所ではなく、ひとつの状態なのではないか。/「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のように確かな文体」/何度も読んで暗記してしまった原民喜の文章の一節を思い出す。それ自体が美しくて、口にするだけで気持ちが明るむ。僕が調律で目指すところを、これ以上よく言い表わしている言葉はないと思う。

 

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